第2章「ESCAPE」

....#56 夜明け前(2)


水辺の湿った空気の中、寒そうに白い息をはきながらカインはセシルの隣に立つ。
二人の長い影が並んだ。


「しっかし、夜はさみぃなぁ」


寒そうに肩をすくめながら、足下の小石を軽く蹴った。
鏡のような水面に輪を描く。僅かな水音が沈黙に落ち、冴え渡るあおい夜空は太陽の到来を待っていた。

「あいつ、泣き止まなくて大変だったんだぞ」


幾重にも連なるその波紋を目で追いながら、カインは横顔のままそう言った。本当はもっと何か言ってやろうと思っていたのだが、セシルの姿を見るとそれはできなかった。
手を汚さねばならないセシル。


「……だろうね」


セシルは諦めたように微笑んだ。


「お前なぁ、そんな顔してるから色々と誤解されるんだぞ」


「ふふ……そうだね、分かってるよ」


「…………」


繰り返し繰り返し戦地へ赴くセシルを、ローザがどんな様子で待っていたのかを彼は知っている。そして、セシルが戦いの話を決して口にしようとしないことも。

今までずっと、それは余裕のある思いやりだと思っていた。
それを妬ましく思う時もあった。


「……わかってねぇよ」


「バロンで、何があったの……?」


呟く声は消え入りそうで、長い髪の無い左の横顔がいやに幼い。


「リディアのことで軍部とちょっと、な」


「そっか……やっぱりそんなことになってんだね……」


強い月の光がロチェスターの水面を照らし、青ざめたセシルの頬や、疲れ切った腕に影を落とす。やがて、セシルはためらいがちに幼なじみの名を口にした。


「カイン……今、ローザは……?」


「……離れにいるから気になるんだったら行って来いよ」


お前にはもう会わせない、と、言いたい気持ちもどこかにあった。でも、今は、言葉はそれじゃない。
偶然の不幸とはいえ、ローザは見てしまったのだ。

「いや、止めとくよ」


「大丈夫だよ、死んだみたいに寝てるから」


「…………」


「顔、見ておかないと後悔するんじゃないか?」


(今は、俺じゃだめなんだ)





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