幕間「雨の休日」

....#42


翌日は朝から雨だった。
窓の外を埋めるとめどない雨音に、けだるい目覚めが訪れる。セシルはベッドに横になったまま、春雨に曇る窓の外へ目をやった。

動きのない部屋の空気はひやりと冷たい。そういえば、一週間ほどの休暇を与えられていたのだ。昨夜の事件のせいで、なんとなく今日が休みのようには思えなかった。


昨日は夜半を過ぎてからローザを家まで送り届けた。
眠っている子供の細い体を抱いて、リディアのことは自分が預かると彼女は最後まで譲らなかった。そして、そんな彼女に強いことを言えなかったのは自分だ。
なんて無責任なことをしてしまったのだろう。


鈍い脱力感にさいなまれ、長い間寝床でぼんやりとしていたセシルだったが、やがてもうねむりが訪れないことを悟ると、気の乗らない体を無理に起こして、ふっと息をついた。


雨の止まない窓の外をぼんやりと見やり、それからのろのろと動いてソファに体を沈める。


低く雲のたれ込めた天気のせいで、部屋の中は薄暗い。


手元の明かりをつけて読みかけの小説に手を伸ばそうとしたのだが、不意に電話のベルが鳴り響いた。


「はい」


「隊長?」


聞き慣れた声は彼の副官のものだった。


「エイリ」


「あ、起きてましたか」


彼も今日は休みのはずである。


「……起きてるよ」


彼らしい言葉に思わず苦笑いで返事した。
言いながら起きあがり電話機ごと窓辺へ立つ。


「大丈夫でした? ジェネラルさん」


聞いてはじめて昨日の事件の原因を思い出す。ローザとのことですっかり忘れていた。


「あ、ああ、まぁ別にどうってことないよ。大丈夫」


「隊長も大丈夫ですか?」


「何が?」


「いえ……平気ならいいんです。ちょっと気になっただけですから」


「……ありがとう。僕は別にいつも通りだから」


「……ご無理なさらないでくださいね」


エイリが心配性なのは今にはじまったことではない。
セシルは電話の向こうの副官の顔を思い浮かべて笑った。


「エイリこそ、全然休めてないんじゃない? 休暇なのに」


「そんなことないですよ。今は久しぶりに実家に戻りましたし」


「ちゃんとフィアンセの相手してる?」


セシルは少し悪戯っぽい口調で言った。
エイリには親が決めた貞淑なフィアンセが待っているのだ。


「人聞きの悪いことをいわないでくださいよ、ちゃんとしてます。隊長じゃないんですから」


「あれれ、心外だね。僕には相手が居ないだけで、誠実なつもりだけど?」


「……僕が知っているだけでも、泣いている女性も随分いらっしゃるようですが?」


「ああいうお嬢様方はね、僕で暇つぶしをしたいだけなんだよ。だから、ボランティアみたいなものさ」


「全く、いつのまにそんなひねくれちゃったんだか」


エイリはわざと深くため息をついて言った。
セシルはくすくす笑って言葉を返す。


「いつのまでしょうね。でも、僕が手を出すんじゃないもんね。来るもの拒んでないだけ。知ったこっちゃないよ」


「…………副官として僕は悲しいですよ」


「それはすまないね」


「……まぁ、それだけ言えればお元気なんでしょう。安心しました」


「エイリは心配性すぎるよ。僕は普通だってば」


「はいはい、ではまた」


「うん」


受話器を置き、部屋を見回す。
湿っぽい石造りの離れには何もない。
セシルは埃っぽい物置から傘を探し出すと、優しい雨音のする屋外へ出て城に向かった。



「あれ?」


城内に入り廊下を曲がったすぐのところで見知った少女にはち合わせる。鮮やかな赤毛を高く結わえた健康そうな少女で、セシルは彼女を知っていた。少女ももちろん彼が誰だか分かったようで、ぱっと懐かしそうな顔をしてセシルを見上げた。


「…………えっと、シェリルちゃん、だよね」


「ええ、セシル様」


「久しぶりだね、元気にしていたかい?」


「はい」


シェリル・ファロウはローザの小学院時代の友人である。
確か、ローザと一番仲の良かった女の子だったのではないだろうか。長電話を覚えたローザが夜な夜なシェリルと話し込んで困るのだと、メアリとローザの母マリアが話していたのを覚えている。


昔からローザが仲良くなるのは、義姉のメアリのように快活な性格の娘が多い。
シェリルも例に漏れずそういった気性の持ち主であった。


「こんな平日に城に来るなんて、珍しいんだね」


「私、父の代わりに議会再会の嘆願に来ているんです」


なにやら分厚い書類の束を抱えたシェリルは、にこにこ笑いながらそう答えた。まるで何か楽しいことを話しているように見えるが、セシルは言われてはじめてはっと気付く。シェリルは、五年前強制解散されたバロン国民議会の議長の一人娘なのだ。


「……そうなんだ」


「ええ、なかなか大臣にお話を聞いて頂けなくて」


「……カラスか。すまないね、僕、あの人のことはよく知らないから」


「大丈夫ですよ、へこたれませんから」


一瞬、悪いことを聞いてしまったかと思ったが、シェリルは気にもかけない様子であった。ああ、そういえば彼女は昔からこんな風だったと懐かしく思いながら、セシルは嘆息する。


「相変わらず、強いんだね」


「ええ」


シェリルの笑い顔はなぜか自信に満ちていて、美しい。


「議会再開……か、もう五年だっけ。解散してから」


「そうです」


「ファロウ議長はどうしてらっしゃる?」


「……父は相変わらず家でぼんやりしてばかりです、全く、たまには一緒に城に来てくれても良いのに……って、ふふ、これは嘘ですけど」


「そっか、議長は真面目な人だったもんね」


「だけど、父も議会が再開すればきっと元気になると思うんです。ほら、仕事の合間に署名も集めているんですよ」


「偉いねえ」


「これでも孝行娘ですから」


五年前、国外から迎えた二人の大臣が任務につくと同時にバロン国民議会は解散された。
百数十年の伝統を持つ議会の解散は当然の如く激しい批判に晒されたが、国が姿勢を崩すことはなく、結局時間とともに大多数の国民が事件への興味を失うにつれ、過去のニュースとして認識されるようになっていた。


今では、ファロウ議長の名代としてのシェリルと、かつての議員達が数名、細々と議会復活への活動を続けているだけである。議会復活は当然難しいだろう。


なんとなくこれ以上この話題について話すことが憚られたセシルは話題を別のものに変えようとした。


「ローザとは今でも連絡とってる?」


「もちろん、仲良しですよ今でも。あの子、あれで士官候補生だなんて信じられませんよね。頼りなくって」


「はは、そうだね」


「ローザ、今でもしょっちゅうセシル様セシル様って言ってますよ……あ、そろそろ私、店に戻らないと」


「お店?」


「ええ、私花屋で働いてるんです。近くに来られたら遊びに来てくださいね……じゃあ私、行きます」


「わかったよ、がんばってね」


「ありがとうございます」


どこまでも明るい顔でシェリルはそう言うと、セシルに手を振って去っていった。その、変わらない彼女の弾むような後ろ姿を、セシルはなぜか少し名残惜しく見送った。



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