幕間「雨の休日」

....#43


セシルはひとりで街へ出た。
小雨の旧市街、涼しい下り坂を歩いて降りる。
ここは、そういえば一昨日ローザと二人で歩いた道だ。
今日はあの日より少しだけ寒くて、ずっと静かだ。


「あ!」


突然そう言って走り寄ってきたのはカインであった。
軍服姿のカインは随分慌てふためいているようで、傘もささずつんのめりながらセシルの背後の路地に走り込む。


一体何事かと思うと同時に、向こうの角を曲がって走ってくる初老の男が見えた。様子をみるに貴族の使用人……おそらくは、ハイウインド家の執事だろう。


「ふーん……」


ちらっと目だけで背後のカインを見ると、彼は必死に、身振りで「黙っていろ」と繰り返している。
笑いをこらえながら何くわぬ顔で執事の姿を追っていると、案の定、執事は彼の前で立ち止まり、息を整えながら話しかける。


「……あの……あ!」


セシルの顔を見て彼のことに気付いたらしい。とっさに言葉を選び直しているようだ。セシルはにこりと笑って会釈した。


「こんにちは、何か、お探しで?」


「セシル様……すみません。今ここに、カイン様が来られませんでしたか?」


「カインが? さぁ、ここには来なかったようですが?」


「来られなかった……?」


「ええ、見ませんでしたよ。街道を間違われたのでは?」


執事は不審そうに首をひねるが、にこにこと微笑むセシルを前にそれ以上食い下がることもできず、短く礼を言うと来た道を戻っていった。


「…………高く付くからね」


執事を見送りながら振り向かずにそう呟くと、路地にしゃがみ込んだカインが恨めしげに彼を見上げる。


「貸しといてくれ。これでも色々困っているんでね」


「はいはい」


むくりと立ち上がり、ため息をつきながらカインが街道に出てくる。傘を差し出しながら、セシルは思わずくすくすと笑いだした。


「おいおい、なんだよ笑いゴトじゃないんだからな」


むっとした顔で言いながら、カインは少しかがんでセシルの傘に入った。


「ごめんごめん、わかってるよ」


「全く……どいつもこいつも」


カインはいまいましげにそう言うのをなだめて、お互い暇を持てあましている二人は近くの、静かな喫茶店に腰を落ち着けた。


客のまばらな店内で、まもなく運ばれてきたコーヒーに口を付けて、セシルは悪戯っぽく笑ってみせた。


「ハイウインド伯爵になるのも悪くないんじゃない?」


「冗談はやめてくれ……って、なんだ、伯父貴に何か聞いたのか?」


「この間、お会いする機会があったもので。伯爵、悩んでたよ?」


「そりゃ……まぁ、そうだろうな。伯父貴、必死だからなぁ」


「由緒あるお家は大変だね」


「……他人事だと思って嬉しそうに」


「ごめんね、他人事だもん」


「大体、本家の連中は竜騎士の称号にこだわりすぎなんだよ」


「それは、仕方ないんじゃない?」


「そうは言ってもだな、もう竜騎士は廃業。竜が居ないのに形だけ竜騎士があるなんて、不自然なんだよ」


「……カイン」


幼い頃から、カインが飛竜に憧れの気持ちを抱いていることをセシルは知っている。


竜という言葉を口にする時、無意識のうちに真面目な顔になるカインに、セシルも自然と真顔になって言った。


「竜のことになると、とたんに真面目になるんだね、昔から」


「別に……こだわってるわけじゃない」


カインはふてくされた子供のような顔で短くそう言った。


「……やっぱり、少し羨ましいよ」


「どうしてだ?」


「さぁ、どうしてかな……」


硝子の壁の向こうは、相変わらずの雨模様である。
旧市街の美しい石畳の坂道を、降り続く雨の滴が流れていく。
行き交う人々の傘だけが鮮やかな花を咲かせる灰色の午後を、向かい会うセシルとカインは長い間静かに見つめていた。



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