第1章「A Day of spring」

....#41 霧雨と幼なじみ


その夜アーサーはついに例の養子縁組について口にすることはなく、カインは夜更けの街道をひとり家路についていた。

伯父と酌み交わしたいつもより少し量の多いアルコールが身体を充分に暖めていたので、上着を片手にのんびりと坂を上った。

ぼんやりと白く光る街灯に、霧のような細かい雨粒が舞うように光っている。音もない微かな春雨だった。


(…………親父と伯父貴、か)


父のことを久しぶりに口にしたアーサーの目を思い出す。
父とハイウインド家と、そして伯父との間に何があったのか、カインは何も知らない。誰も話そうとしないし、話題にすら上らない。父が家を出たという事実の後ろめたさもあって、今まで伯父やハロルドのような古い執事にも聞けずにいた。

アーサーが望むのなら、自分は彼の養子になるべきなのだろうか。


また何か昔のことが思い浮かびかけたが、唐突に見知った人影を見つけて、カインの思考は停止する。


「…………?」


その人影は王城の方から歩いてきたようで、すいと前方を横切ると、城下を見下ろせる丘の方へと消えていった。
酔って見間違えたわけではない。あれはセシルだった。


(セシル?)


気になって後を追うと、セシルは丘の遊歩道に佇んでいた。
何を考えているのか、横顔は険しい。
一瞬ためらって、声をかけた。


「セシル」


はっとした顔で振り向いた弟分は、一瞬明らかに、それからそれをはぐらかすように微笑みながら驚きをみせた。


「こんばんわ……驚いたよ、カイン」


言い終わる頃には彼はもう彼らしいゆったりとした笑みを浮かべてカインに向き直っている。


「こんなところでどうしたんだ?」


「霧雨が気持ちいいから、散歩をしていただけだよ」


セシルを前にするといつも不思議な気持ちになる。
もう記憶もあやふやなくらい昔から一緒にいる友人のはずなのに、見知らぬ人を前にしているような錯覚に陥る。滅多に会う機会が無いからだろうか。


(違う……)


戦争に次ぐ戦争、孤児という身の上にそぐわない大任、賞賛の嵐と限りない期待。
この優しい薄い肩にのしかかる重圧ははかりしれない。それが自分が今負っているものなどとは比較にならないことは考えたくもないほど理解していた。


(馬鹿セシル。さっきの横顔の理由をどうして話さない?)


自分だったらきっと、耐えられない重荷のはず。
なのに、久しぶりの帰還で幼なじみに見せる顔はうんざりするほどいつも通りの笑顔。たとえ弱音を吐いても、愚痴をこぼしても、お互い受け入れあえる関係であることは明白なはず。少なくとも自分はそう思っている。思っているのに。


軍事任務が楽しいはずはない。
半年もバロンを離れて疲れていないはずはない。
王や部下達の前ではともかく、それ以外でまで、どうしてセシルはこんな完璧でいられるのだろう。


「散歩は良いが、風邪でもひいたら大変だろう」


(どうしてだ?)


「うん、でも大丈夫だよ。風邪ってあんまりひかないから」


「今のお前に変わりはいないんだから、大事にしろよ」


「わかってるよ」


(わかってねぇ)


涼しいセシルの笑い顔に思うのは、なぜか、息苦しいほどの羨望。
そしてそれを自覚した次の瞬間には、それ以上の自己嫌悪が覆い被さった。


「カインはどうしたの? そんな格好珍しいじゃない」


「……あ、ああ、俺か? 本家でちょっとな……帰るところだったんだ」


セシルはすっかり楽しげな様子で話し始めている。
もうその笑顔には一片の曇りも見あたらず、その振る舞いには妬みすら感じてしまう。


あるいは、寂しく思っているのかもしれない。


(…………馬鹿は俺か)


言葉が続かないうちに霧雨は本格的な雨へと変わりはじめ、二人がその場を後にしたのは、その後まもなくのことであった。



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