第1章「A Day of spring」
....#38 惨劇の後
飛空艇がゆっくりと離陸する。 ローザはその様子を、まだ混乱した頭のままぼんやりと見ていた。 言葉にならない疑問が沢山浮かんだ。 今夜ここで本当は何が起こったのか、未だに理解ができない。 それはあまりにも唐突で理不尽な破壊。 ただひとつ彼女にもわかるのは、これが正常じゃないということ。 (だって、バロンは平和そのものなんだから!) 父が軍人だったこともあり、王のことは少し知っていた。 希代の名君とも、戦乱の王とも呼ばれる、ルクスフォード三世。 (セシルのことを、実の息子のように可愛がっていて……優しい陛下) そして、父が命がけで守った王。 (セシルは……知ってるのかしら? なにが起こっているのか……) もう霧も煙も晴れて、ひんやりと冷たい空気は、澄んだ夜のにおいがした。 セシルは、まだローザの方を一度も見ていない。 セシルがあの場に助けに来てくれたことは何よりもローザを安心させたが、彼が怒っている気がして少し恐かった。 (……怒ってるのかな?) (……怒ってそうだなぁ……) 無茶をしたことを咎められるような気がして、セシルの後ろ姿に言葉をかけることができなかった。言い訳が見つからない。かといってこのまま逃げ出すわけにもいかず、ローザは困った顔をしてセシルがなにか言ってくれるのを待った。 やがて飛空艇が見えなくなるのを見届けてから、セシルはゆっくり彼女のほうを振り向く。夜の空気を孕んだ長い髪がたなびいて彼の顔にかかる。 怒ってるようにも見えないが、笑ってもいない。 (…………) セシルは、そのまま表情を変えずにローザに歩み寄った。 ローザは反射的に少しだけ後ずさった。 (……怒られるっ) 「なに、かまえてんの?」 聞こえてきた声に責める調子は無かった。 驚いて顔を上げると、セシルはにやにやしながらこっちを見ていた。 「セシル?」 「怒られるとか、思ったんでしょ?」 「おこんないの?」 「怒ろうか?」 「い、いいっ! 怒らないでっ」 ローザがあわてると、セシルはおかしそうに笑った。 「……もう!」 「でも、あんまりひとりで無茶はしないでね。心臓に悪いからさ」 「うん」 「メアリを置いてきたんだって? 心配していたよ」 「うん……ごめん」 でも……と、続けようとしてローザは気がついた。先ほどからリディアがいない。 「リディアちゃんは?」 「リディア……さっきの子?」 辺りを見回すと、少し離れたところに霧がそこだけ晴れないで残っている場所がある。 「あ……」 晴れない緑色の霧は、実はステラが呼び出したミストドラゴンの名残である。霧は、まるで生きているように親子を取り囲み、その姿を隠していた。 「ローザ、ちょっと待って」 セシルの声で足を止めたローザは、その場所にはびこる悲しい気配に気づいたようだ。 それは、死の気配。 「おかあさん!」 リディアの叫び声と共に強い風が吹いた。 その風は無数の霧のかけらをはらみ、親子がいるあたりに吹き込んでいく。目を細めてローザが見ると、風はもう一度霧を集め、霧はふたたび巨大な竜の形を取り戻して、切ない声で夜空に吼えた。 とても、悲しいこえだった。 その声を最後に霧の竜はふわりと夜空に溶けるように竜としての形を失い、力無く横たわるステラの手に握られた小さなガラス瓶に吸い込まれていく。 それにつれて、緑色をしていたステラの髪も、徐々にもとの黒髪に戻っていった。 それはあっという間の出来事だったのだろう。しかしローザには全てがゆっくりに見えた。 くすんだ緑色の渦の中、幼い娘の頭を撫でる母親の白い腕が力を無くしていく。命の糸が切れる音を聞いた気がした。 今度こそ本当に霧が晴れた後、目の前には泣きじゃくる幼い少女と、ものいわぬその母親がいるだけだった。 召喚士。 それは、魔法の体系学習の中で見かけたことのある単語。普通の魔法とは違う、血の力で不思議な術を使う一族がいるのだと教わった。そして、現在までに召喚士の血は殆ど絶えてしまったのだとも。 (聞いたことがある。召喚士は命をかけてこの世ならぬものの力を借りるのだと) 「…………」 「…………ねえ、セシル……」 「でも、あの子の命は、君が助けたんだからね」 しっとりと霧に濡れた髪や肌が、冷たい高原の空気に冷やされていく。 だが、今はそれを寒いとは感じなかった。 |