第1章「A Day of spring」

....#22 図書館にて


カインの姿は図書館にあった。
読書などという趣味からはほど遠くみえるカインだったが、定期的にここを訪れるのは実は彼の日課の一つである。


「カインさん、仰っていた本、入りましたよ」


カインの姿を見つけて、受付に座っていた顔なじみの司書が声をかけた。


「ああ、いつも悪いな」


「えーと、おなじみの第三閲覧室です。棚はわかりますよね」


「大丈夫だ」


閲覧室の鍵を受け取りながら、受付のカードに名前を記入する。
王立図書館第三閲覧室、持ち出し禁止の古い文献が収められている場所である。受付を済ませたカインは、手の中で鍵をもてあそびながら閲覧室へと歩いていた。

図書館には学生らしい者の姿が目立つ。


(ああ、そういえば今日から長期休暇だったな)


「きゃっ!」


「?」


背後から、唐突に短い叫び声。
驚いて振り向くと、顔を赤くした少女が目を丸くしてこちらを見ていた。
褐色の肌に黒い髪、きりりとしたきつい顔立ちのその少女を、カインは知っていた。


「……なんだ、マナじゃないか」


「びっくりしました。こんなところでお会いできるなんて……大佐」


マナはローザのカデットでの友人である。
大きな声を上げてしまったので周囲を気にしながら、落とした本を拾い集めてこちらにやってくる。


「久しぶりだな、勉強か?」


「はい。……大佐は?」


「俺は、頼んでいた本が届いたらしいんでな、ちょっと読書だ」


「あ、竜のですか」


マナは目を輝かせてカインを見上げる。


彼女は変わった少女だ。
一年も前になるだろうか、ローザを迎えに士官学校へ寄った時にはじめて出会った。
マナの方はもっと前から自分のことを知っていたようで、竜や竜騎士といった事柄に関心を寄せる少女は、同時になぜかカインの熱心なファンでもある。


「ああ。お前も来るか?」


「はい!」


第三閲覧室に先客はおらず、目当ての本数冊を抱えたカインと、彼の後ろを嬉しそうについてきたマナは、広い机を向かい合わせで占領して席に着いた。


「飛竜の生態……すごい、その本、ミシディア大図書館のですか?」


うきうきした様子で、本の背表紙に貼られたタグを見てマナが言う。


「ああ、あそこにしかない本が多くて、頼んで借りてもらってるんだ。まさか本を読みにミシディアまで行くわけにもいかないからな」


世界で最も蔵書の多い図書館は、内海を挟んだミシディアにある。カインが探している資料の多くもミシディア大図書館所蔵のものが多かった。


「うわぁ、本当に研究熱心ですね、大佐」


彼は、何年もかけて竜について調べ続けていた。それも、竜騎士が最も近くつき合ってきた、飛竜とよばれる小型のドラゴンについてを。


「別に……研究してる訳じゃないぞ。ただ、気になるだけだ」


「竜……のこと、ですか?」


「……どうかな、わからない」


そう言うと、カインがふっと寂しげな表情で目の前の本の古い表紙に目を落とした。嬉しそうに話していたマナも口を閉じる。


「大佐?」


「……百年前までは、バロン城にも竜舎があったんだ」


「…………」


「マナ?」


「…………」


「変か?」


「いっ……いいえっ!」


弾かれたようにそう言ってマナが勢いよく立ち上がるので、カインは思わず面食らい、それから笑い出した。


「お前、面白いな」


「そんな……私、大佐に興味があるんです」


「断言するなぁ」


「断言しますよ。私、竜騎士隊に志願するつもりですから」


マナは冗談っぽくそう言ったが、真剣なのはすぐにわかった。カインは驚いた顔で本を置く。


「え……、マジかよ。うちは今俺ひとりで、大体お前……」


「わかってます。竜騎士にはなれませんけど、雑用が一人くらい居てもいいと思いません?」


「お前、奨学生だろ? そんな優秀な奴を海軍の、しかも俺の隊になんて誰が配属するもんか。そういう奴は普通空軍だろ。今は」


「元々軍隊には興味ないんです」


「じゃあ何でカデットなんかに入ったんだ?」


「奨学金がもらえたから……っていうのが、たぶん本音です」


「だったら余計食いっぱぐれないようによく考えろよな」


「……はい」


士官候補生の進路についてはローザのことで散々悩まされていたからか、そう言ったカインの言葉は思いの外厳しく響き、叱られたように思ったのだろう。マナはしゅんとして席に着く。


(あれ、言い過ぎたかな……)


「あ、でもさ、お前、竜に興味があるなんて今どき珍しいな」


話を変えようとしたカインに、肩を落としていたマナはぱっと顔を上げた。なんだ、ぜんぜんこたえてないじゃないか。


「ロマンを感じません?」


「ロマン?」


「あ……っ、大佐はハイウインド家の方なんですもんね、今更ロマンってことはないですよね。すみません」


慌てて恥ずかしそうに訂正するマナの様子が可笑しくて、思わずカインは声を出して笑った。


「大佐ぁ」


「あはは、すまん。言いたいことはわかるぞ。俺もまぁ、似たようなもんだ」


カインはそう言ってまたひとしきり笑った。
マナはなんだかよくわからないといった様子でそれを眺めている。


その後も二人で長いこと色々な本を眺めていたが、ふと閲覧室の扉を開けてこちらへやってくる初老の男にカインは目をとめた。それから、はっと青い顔で立ち上がる。


「まずい」


「大佐?」


「やはりこちらでしたか!」


目が合うと、男は大慌てで近づいてくる。カインはそそくさと立ち上がった。


「マナ、すまん。これ、返しておいてくれるか」


「え……あ、はい」


「坊ちゃまお待ち下さい!」


さっさと部屋を出ようとしたが一歩遅く、目の前に立ちはだかったハイウインド家の執事らしい男を、カインは無視することができなくなってしまった。

しばしの沈黙。それから、カインは諦めたように肩をすくめた。


「…………ハロルド、その呼び方はよしてくれよ」


「そうは参りません。カイン坊ちゃま」


ハロルドと呼ばれたハイウインド家の執事らしい男はきっぱりと言い返す。


「……で、伯父貴が何て?」


「晩餐にお招きしたいとのことです。……必ずお連れするように仰せつかって参りました」


「晩飯ね。無駄だと思うけど」


 ため息と共に乱暴に言ったが、執事は諦める様子はなかった。


「お願いでございます」


「……わかったよ。お前に免じて今日のところはつき合うよ」


カインはマナに渡しかけていた本を棚に戻し、呆気にとられて見ていたマナに詫びて夕暮れ前の図書館を後にした。



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