第1章「A Day of spring」

....#14 日暮れ


遠い半島へと太陽が沈みかけた頃、薄暗くなりはじめた広場でセシルが立ち上がった。


「そろそろ送っていくよ」


「あ……そうか、もう夕方だもんね」


セシルとの久しぶりの時間がもう終わってしまうことを残念に感じながら、ローザも素直に立ち上がる。気が付けば、先ほどまであんなに気持ちの良かった風が、今は少し肌寒く感じる。長い間外に居た体はしんと冷えて、夕べの青に染まった空気が染みこんでくるようだ。


「寒い?」


「え……? あ、大丈夫」


口ごもるローザの答えを聞かないうちにセシルはさっさと自分のコートを脱いで、着ているようにと肩に掛ける。


「これじゃあセシルが寒いでしょ」


「僕は別に寒くないよ? 涼しくてちょうどいいじゃない」


仕立ての良い将官用コートは重くて暖かく、ローザが着ると引きずってしまいそうなくらいたっぷりとした丈がある。堅い布地の質感や、上等の裏地のすべらかな感触になぜか少しどきどきしている自分がいた。

そしてそれを振り切るように、先を歩いているセシルに追いつこうと駆け足で坂を上がった。追いかけてくるローザを、セシルはゆっくりと振り返る。


「あはは、ローザ、似合うよ」


「偉そうなコートだね」


「それ、今日カインにも言われた」


「ほんとに寒くない?」


「大丈夫だって」


何度かそんなやりとりを繰り返しつつ、二人は城へ戻った。


城に着いたセシルは、ローザを連れて軍部へと向かった。
静かな庭森の離れと違い、反対側の軍部は、当然だが軍人達が大勢いて騒がしい。セシルのコートを被ったローザは、彼の後を小さくなって歩いた。


「…………」


知らんぷりで前を歩くセシルが憎らしい。彼は判っているのだろうか。
すれ違う者はみな、姿勢を直してセシルに敬礼してから、驚いた顔で自分を見る。それはそうだろう。士官候補生がこんなところでセシルと一緒に居ることは不自然すぎるのだ。


やがて必要以上に長く感じられた軍部の廊下を過ぎ、裏の車庫について軍用車の助手席に乗り込むと、ローザはすっかり疲れた様子で座席に沈み込んだ。


「……セシルってば」


恨めしげな目でセシルを睨む。運転席のセシルは苦笑しながらエンジンをかけた。


「気にした?」


「あたりまえ」


「ごめんごめん、急いでいたものだから」


「私だって一応士官候補生なんだから。顔覚えられて配属先でイジメられちゃったらどうしてくれるのよ」


「そういう時は僕に言いつけなさい。助けてあげるから」


「あ、そういうの職権濫用っていうんじゃないの?」


「そうだよ?」


「はぁ、いいのかなぁ……」


「何が?」


「いいのかなぁこういういい加減な将軍さんで」


「仕事はちゃんとしてますからね、誰も文句は言わないんだよ」


外はもう夜がやって来ている。車は旧市街を通らずに、新市街へと抜ける軍専用の道路を通って町を過ぎる。ローザの家がある郊外の住宅地は、車だと城から二十分もかからない場所にあった。


ファレル家の門柱の前に立ったローザは、遠ざかるエンジン音を見送る。
折角だから家に上がっていけばどうかと言ったのだが、セシルは門もくぐらずに城へと戻って行った。


コートを返して軽くなった肩や首を夜風が撫でる。
夕食時の住宅街に人影は無く、ローザはセシルの車が見えなくなるまで見送って、家へと入った。


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