第1章「A Day of spring」

....#13 カイン、自宅にて


カインの自宅は旧市街にある。
城の南側の街道沿いにある民家で、ハイウインドの本宅とは比べものにならない質素な家だが、町並みになじんだ上品な佇まいは彼自身も気に入っていた。

無造作に玄関の戸を開けると、子供の頃からそこにあるベルが鈍い音で彼を出迎える。

父が亡くなってから、この家で彼はもうずっと一人暮らしであった。

竜騎士としての素質を色濃く受け継ぎ、なり手の居ない本家の人間に代わりその称号を引き受けたカインに、父の兄であるアーサーは何度も本家の養子にならないかと誘っていた。

貴族の暮らしが性に合わないカインはその都度伯父の申し出を断っているのだが、アーサーも今のところ諦めるつもりは無いようだ。


しんと静まりかえった我が家の明かりをつけ、カインは壁にかけてある一本の槍に目をやった。本来はハイウインド本家にあるべきこの槍は、「飛竜の槍」と呼ばれる名槍である。


竜騎士とはその名が現すとおり、飛竜と呼ばれる小型の竜と心を通わせ、共に戦う戦士のことである。長い歴史の中で何度も大きな活躍をみせる、優雅で誇り高い騎士なのだ。


しかし現在バロンには飛竜は居ない。
バロンどころか、今や世界中どこを探したって、竜になど会えるはずもないだろう。
八十年ほど前に、飛竜は絶滅したといわれているのだ。


彼が生まれたハイウインド家は、永く竜騎士の家系としてその名を轟かせてきた。
だが竜無き時代の竜騎士など、馬鹿馬鹿しい看板でしかない。


自分が所属していることになっている竜騎士隊という部隊も、実際は竜騎士の名を守るために存在しているに過ぎない。
彼に与えられた大佐の身分もそれと同じく実質のない名前だけのもので、同僚以下の者から大佐扱いされるのもうんざりだった。

敬われても自分は少しも偉くないのだから、馬鹿にされたような空しさが残るだけだ。
できることならば竜騎士の称号など王に返してしまいたい。


「…………」


今は話す相手も居ない寂しい家で、カインはひとりため息をついた。



メアリがやってきたのはそれから二時間ほど後のことである。


「買いすぎちゃったわぁ」


ドアを開けて目に飛び込んできたのは、彼女が両手いっぱい抱えている買いたての新鮮な野菜や果物。旧市街の市場には新市街の店より良いものがあるといつも言うメアリだが、ここまで足を伸ばして買い物に来ることは少ない。どうやら言葉通り買いすぎたようだ。


「おいおい、なんだよそれ」


呆れた声でそう言いつつ、荷物を受け取り家の中へ運び込む。
医者であるため休みの変則的なメアリは、行事前でなくても時々こうやってまとめて料理することがあった。


「休みの日くらいしか作れないからね」


「……お前がそうやって甘やかすからローザがいつまでたっても成長しないんだぞ。あいつにも料理くらい覚えさせろよ」


「ほんと、そう思うわ」


メアリはにこにこ笑いながら、慣れた様子でカインの台所に立つ。彼女はこの家にある古い薪のオーブンを借りに来たのだった。彼女はこの家の台所がいたくお気に入りなのだ。


「ミートパイ、カインも好きでしょ? ローザも大好きなのよ」


「わかったよ……」


ずらりと並べられた食材を前に、カインは苦笑した。
それから、野菜を洗い始めたメアリの横で腕まくりをして手伝いはじめた。家の裏から薪を運んできて、オーブンに火を入れる。

二人は午後いっぱいかけてテーブル一杯の料理を作った。



「さて、と」


夜の気配のする窓の外を見て、メアリはほっとため息をついた。


「出来たぞ」


ミトンをはめたカインが、大きなパイ皿を持って台所を出てくる。
オーブンの番はカインの役目なのだ。


「うーん、美味しそう。やっぱり薪のオーブンは違うわぁ」


焼き上がったパイをメアリはうっとり眺める。


「火加減が面倒だけどな」


「認めたくないけど、この焼き加減は真似できないわ」


「俺だって認めたくねぇよ」


風体に似合わずカインは料理の類が得意である。
一緒に暮らしていた父は全く台所仕事のできない男だったので、簡単な食事は子供の頃からカインが作っていた。そのせいもあるのだろう、一人で暮らすようになってからは自然に覚えた。

このオーブンの使い方にしても、誰に教わったものでもない。


「竜騎士やめて料理人になったら?」


「よしてくれ、なんで俺が」


「あはは、いいじゃない面白くて」


「あのなぁ……」


続けようとしてメアリの方を向くと、彼女は微笑みをたたえたまま、せっせと料理の仕上げをしている。大量に作る料理はいつも余るわけではなく、シドの研究所で弟子達皆に平らげてもらっていた。


「明日、晴れるかしら」


メアリは歌うように言った。


「ま、晴れるだろ」


ぶっきらぼうにカインは答えた。


「空見てくるわ」


料理をすっかり分け終えたメアリは、そう言って二階へ上がっていった。
その後をカインも続く。狭くて急な階段の上にはカインの部屋と、今は使っていない父の部屋がある。


「今日これだけ晴れたんだ、明日も大丈夫……」


「ねぇ、カイン来て」


「あ?」


「夕日よ」


「……ああ」


カインの部屋の窓からは、遠く内海が見渡せる。
そこに、シンプルな山吹色の夕日が沈もうとしていた。
カモメの影がゆったりと弧を描いて、晴れの日らしい単調なグラデーションの空が、まだ浅い藍へと続いている。


「明日も晴れそうね」


海から来る涼しい風に、メアリは眼鏡を外して気持ちよさそうに伸びをする。
カインもその横から顔を出して目を細めた。


「そう言ったろ?」


「カイン」


「何だ?」


メアリはカインを見上げていたが、すぐに目をそらす。


「……ううん、やっぱりいいわ」


「何だよ気持ち悪いな」


「明日早いし、もう帰るわ」


「あ、ああ、送ってく」


「いいわよ別に」


短い会話の間にもう、太陽は見えなくなっていた。



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