幕間「雨の休日」

....#45


セシルの離れでは、夜はひどく静かで長い。
数分も歩かない所に城があるとはいえ、周りは森で、闇だ。


この季節のバロンは、南から来る湿った風のせいで雨が多い。
せっかくの休日もあいにくの天気続きで、窓を打つ雨足は衰える様子をみせなかった。
そのため、春とはいえ夜はまだ肌寒い。


セシルは、睡眠薬と暖房を兼ねてブランデーを少し口にしてから、眠りが訪れるまでの間、雨音を聞きながら本を読んでいた。


暇なときには読書をして過ごすのは子供の頃からの習慣である。
政治や兵法の難しい本を読むのも悪くないが、必要のない時は小説……特に、子供っぽい仮想世界の物語を眺めるのが好きだった。


『聖戦』、『魔法世紀』、『どろぼうと猫』、『きかいの国』……それは彼が子供の頃から何度も読み返したものばかりで、いい加減新しい本を買って読めばいいとも思っているのだが、どうしても同じものを手にとってしまう。


童話やおとぎ話は一種の現実逃避のようなもので、どんなときも彼を優しく迎えてくれる安らぎだった。

もうどのページに書かれてあることも空で言えるほどに知り尽くした物語のページを、柔らかいランプの光の元でたどる。ふとかざした彼の細い指が日焼けしたページに影を落とし、セシルは子供のように微笑んで、指をひらひらと動かして遊ぶ。


丁度、日付が変わろうとしていた頃のことだった。


「……はい?」


「隊長?」


受話器から聞こえてきたのは、耳慣れた副官の優しい声。
だが、どこか屋外からかけてきたらしい電話の向こうエイリはどこか思い詰めたような、切羽詰まった声で彼を呼んだ。


「どうしたんですか、昼間は……フロゥがいたから、ちゃんと話せませんでしたが」


「それでわざわざ電話してくれたの?」


「そうですよ。おかしいですよ隊長」


「おかしい? 僕が?」


「何かあったんですか……隊長らしくないですよ」


「……そうかな、ごめん」


「ごめんは良いですから、何かあったのなら話してください。そのために僕がいるんですから」


「……エイリにはいつも助けられているよ」


「隊長…………」


「心配をかけてごめん。でも、僕は本当に大丈夫だから」


「……いつも、誰に対しても、冷たいんですね」


「……」


「……隊長」


「……うん」


「笑わないでくださいよ」


「……笑ってないよ」


「…………とにかく、隊長が僕を頼るのは義務ですから。わかってますね?」


「ふふ、わかってるってば。愛してるよ」


「茶化さないでください!」


「やだなあ、ほんとだよ」


「僕は嫌ですよ」


「残念、ふられたね」


「……もう、知りませんから」


「優しいね」


「……僕は損な性格ですよ」


「空軍で僕なんかについてるからだよ」


「そういう意味じゃないです」


「とにかく、エイリは余計な心配をしすぎないこと。僕のこと、もっと信用してよね」


「それは……もちろん信用していますが」


「じゃあ、こんな休みの日まで余計な心配をしていないで、また暫く休暇なんて取れないんだから」


「……はい」


受話器を置く。
言葉とは裏腹に、セシルの顔に笑みは無かった。


翌日、バロン城では、王の執務室にセシルの姿があった。
雨のにおいがする部屋には、年季が入った広い机の前に座った初老のバロン王と、軍服姿のセシル二人きり。


昼間だが雨のため部屋は暗く、手元を照らす為の小さなランプが二人の姿を浮かび上がらせていた。

セシルの穏やかな顔が、わずかに暗く沈んでいるように見える。


「先の任務では、ご苦労であったな」


王は、静かな優しい調子でそう言った。


「陛下……」


セシルは、何か言いたげな目をしたままうつむいた。
王は、椅子に深く腰掛けたまま机の上に置かれたものを見ている。


「クリスタル……伝承が伝え記すとおりだ」


それは風のクリスタルだった。
宝玉は、はじめて王の前にその姿を見せたときと同じ、不思議な光を放ってそこにあった。


世界には、このようなクリスタルが、四つ存在する。
正確には、四つの存在が知られている。
それらは古くから、それぞれの地方に恵みをもたらす宝石として知られていた。


風のクリスタルは、千年も昔にミシディア発見された、最古のクリスタル……半年前赤い翼に与えられた任務は、ミシディアに赴き、このクリスタルを手に入れることだった。


「陛下……」


意を決したように、セシルが顔をあげた。


「なんだ? セシルよ」


「……なぜクリスタルが必要なのですか? わが国は十分に豊ではありませんか」


「セシル……」


ため息をついて、王の声は諭すような調子に変わる。


「そなたはそのようなことを考えなくても良い」


「……しかし、陛下……」


セシルはすがるような、小さな子供のような目で王を見つめる。
みなしごだったセシルに全てを与えたのは王だ。
セシルにとってルクスフォードは父であり、主君であり、正義だった。


二人の間に流れる沈黙を、激しい雨の音が埋める。


「私が信じられないというのか? セシルよ」


「…………いえ」


王の言葉の調子に、セシルは戸惑ったような顔をした。
王はそんなセシルの様子を優しげに見つめ、静かに言った。


「セシルよ、よく聞きなさい。私は常に平和を願っている」


「……陛下」


「何も恐れることはない、そなたはよくやっている」


「…………はい……」


セシルは、暗い顔のままうなずいた。


「隊長」


城を出て軍部へと向かおうとしたセシルを、無人の渡り廊下で呼び止めたのはエイリだった。振り向いて、笑いかけようとするより早く、エイリは次の言葉を紡ぐ。


「明日の任務……僕が指揮を代わった方が良いんじゃないですか?」


エイリがあまり突飛なことを言いだしたもので、セシルは驚いて一瞬言葉を飲み込む。だが、副官の目は真剣だった。


「……何を言うかと思ったら」


「命令してください。あの程度の任務、隊長が居なくても問題はないはずです」


「……エイリ、この間からどうかしてるよ」


「休んでください」


「休んださ、もう充分にね」


 セシルはやれやれと呆れたように手を広げ、エイリを無視して通り過ぎようとした。


「ダムシアンには……もう、あのような任務は……!」


「駄目だよ」


足を止めたセシルは厳しい声でそれを制した。
副官を見たセシルの目は無慈悲で冷たく、エイリは言葉をのむ。


「……隊長」


「それ以上言ってはだめだよ、エイリ。僕たちはなんだい?」


セシルは再び背を向ける。


「それは……」


「わかってるならいい。明日の指揮は僕がとる。不満があるなら君は来なくていい」


「……」


「どうする?」


「……行きます」


「……そう、じゃあよろしくね」


セシルは背中のままでそう言うと、そのまま振り向かず飛空艇ドックの方へと立ち去った。
残された優しい副官は、悲しい顔で石の柱にもたれかかり、ため息をつく。


静かな午後の中庭には、どこかでさえずる小鳥の声が聞こえていた。




バロン空軍飛空艇格納庫。
巨大な飛空艇が何隻も狂いなく立ち並び、数十人の作業員が同時に作業を進めている。
騒がしいその金属音の中、姿を現したセシルはその様子を腕組みして眺めていた。
兵士の一人がセシルの方に走り寄り、最敬礼で話しかける。


「隊長! レッドバロン級、一、二、四号艦、整備終わりました」


「わかった、ごくろう。準備を怠るな」


「はっ!」


兵士が行ってしまうと、セシルは、目の前の飛空艇を見上げた。一瞬苦しげに笑ったが誰も見ては居なかった。すぐに身を翻し、その場を立ち去る。


石の城の廊下を靴音高く過ぎようとしたとき、壁にもたれた姿勢でセシルを待っていたらしい男の姿が目に入った。


「忙しいらしいな、将軍殿」


声をかけてきた金髪の男はジェネラルだった。


嫌な相手に会ったと言わんばかりにセシルは無視して通り過ぎようとしたが、ジェネラルがそうはさせなかった。


彼がセシルの行く手を阻もうとする前に、セシルがぴたりと立ち止まる。


「先輩はお暇のようですね。うらやましい」


セシルはにこりと笑った。


「部下達が優秀だからな」


「この間はどうも。休暇を持て余しておりましたので、丁度良い暇つぶしになりました」


「……口の減らない……」


ジェネラルは思わずそうこぼす。
セシルは首を傾げてジェネラルの方を向いて、そして今度はもっと嫌味っぽく笑う。


「なんでそんなにつっかかってくるんです? もしかして、ほんとは好きとか……」


「……っ、からかうな!」


「あはは、冗談ですよ。いやだなあ」


「ふん、せいぜい下手を打たないことだ。陛下を失望させるなよ」


「ご忠告痛み入ります」


「可愛げのない奴だ」


「それはどうも」


そう言うとセシルはジェネラルに背を向けて歩き出した。
ジェネラルはそれを舌打ちで見送る。


セシルは再び飛び立とうとしていた――



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