第1章「A Day of spring」

....#34 ミストの秘密(ローザ)


何時間ほど経ったのだろうか。
リディアと二人、身を寄せるようにして隠れていたローザは、いつの間にかあたりが静かになっていることに気が付いた。


(砲撃が……止んだ…………?)


結界の上にはたくさんの瓦礫が積もっていたが、二人は無事だった。
結界のうすい光の壁の向こう側は、煙と闇でよく見えない。傍らでうずくまっているリディアに、ローザはそっと声をかけた。


「リディアちゃん、外、出てみようか……?」


呼ばれて、リディアは目を開ける。


「うん……お姉ちゃん」


瓦礫をのけて二人が顔を出すと、街は静まり返っていた。
あちらこちらでまだなお燃えている炎の、はぜるような音がかすかに聞こえる程度である。


小さくて古い、慎ましい高原の街の家々が燃えていた。


けれど、街に足を踏み入れた時にはじめ感じた、身の凍るような恐怖はもうさほど感じなかった。ここに来てからまだ半日も経っていないのに、異常な事態の中にいることに対する奇妙な慣れの感覚で神経が麻痺しているようだった。


怖いというよりも疑問が先に立つ。
一体誰が、なんのために。


(こんな……ひどいことを……)


硝煙で向こうが見えない。
昨日のセシルの優しい笑顔が、頭から離れなかった。


ローザはリディアの手を引いて進んだ。街の中央通りに出て、広場の方へ向かって歩く。リディアの話では、彼女の母は軍人たちと広場の方へ行ったということなのだ。


砲撃は止んだが、延焼をはじめた場所からはひっきりなしに小さな爆発音が聞こえてくる。おそらくは家のガス管に引火したとか、そういったものだろう。

道端にも、うっかり踏もうものなら靴を履いていても足に刺さってしまいそうなガラスの破片が無数に散らばっている。


ローザはふいに周囲に異変を感じ、立ち止まった。


(なに……? ここの煙、へんだわ……)


硝煙に、微かに緑色をしたものが混じっている。
よく見ると、行く手から一筋の緑色の筋が彼女らの方に向かって続いている。ローザは注意深くその緑を見た。


(これ……煙じゃない……!)


緑色の風が吹いた。


(……霧…………)


不意に吹いた風に、硝煙が途切れる。
煙にむせた肺を冷たく潤したそれは、煙ではなく霧だった。
目を細めながらローザが見上げる。


細い街道の向こう、街の中心部に位置する小さな広場。緑の霧を集めた、竜がそこにいる。


そう、それは想像の中ですら出会ったことのない不思議な生き物。


「…………あれは……」


しかし、その竜はよく見ると傷つき、弱っているように見えた。美しい鱗は所々はがれ落ち、立ちこめる霧の中で何度も苦しそうに体を波打たせている。


「決着はついたようだな」


そう離れていない所から突然声が聞こえた。


「!」


ローザはその声を知っていた。セシルではない。
それは、適任者がなかなか現れなかった亡き父の後がまとして、数年前近衛兵長に就いたジェネラルという男の声であった。

確か士官学校時代はセシルやカインの先輩だったはずである。


「おかあさんっ!」


ローザが考えを巡らせている合間に、母の姿を見つけたのか、リディアが叫んで走り出す。あわてて追いかけた。聞こえてきた声がセシルでなかったことを喜んでいる暇などなかった。


近付くと霧はますます深く、視界はさらに狭い。
ローザの目に何とか判ったのは、リディアが母親の元に駆け寄り泣いているということ位だった。二人の表情はローザからは伺い知れない。


だが、声が聞こえた。


「隠れていなさいと、言ったでしょう…………リディア」


「……おかあさん…………」


「リディア……いい子だから……泣き止んで……」


リディアの悲しげな涙声に、息が詰まりそうだった。
どうしてこんなひどいことを。


「ほう? 子供か?」


ジェネラルが勝ち誇った笑い混じりの声で言う。


「……丁度良い」


(リディアちゃん?)


「芽は早いうちに、摘んだ方がいい……お前も、母とともに死ね」


「!」


どうしようと思った時にはもう叫んでいた。
飛び出すと、ローザは親子を背にかばってジェネラルの前に立ちはだかる。


体が動いたのはたぶん無意識だった。



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