多くのバロン市民にとって、戦とはつまり姿の見えぬ怪物のようなものだった。 今日も街角では、誰かの夫だか息子だかの葬儀が行われ、苦しげなすすり泣きが彼を見送る。この国は長い長いトンネルを走り続けていた。
戦場は遠くファブール本土。 「……! いい加減起きたまえ、カイン・ハイウインド!」
午後の生ぬるい陽気に、教室の端の席で居眠りをしていたカインは、遠く聞こえた教官の呼びかけにふと目を覚ました。ああ、授業中だったか。 そして、先日の出来事以来随分長く顔を見ていなかったセシルが彼を訪ねて来たのは、その日の夕刻のことである。 「へぇ……こういうところに住んでるんだ」 「まぁな、意外と住みやすいんだぞ」 セシルは、窓の古い木枠を撫でて、なんかいいねと言って笑った。彼がわざわざ寮にまで自分を訪ねてくるなんて、今まで無かったことだ。 平原での出来事について聞いてみたい気持ちもあったが、西日を受けるセシルの薄い肩を眺めているとなぜか口にすることが憚られてしまう。 もとから可愛げの無いセシルであるが、今日は殊更に大人びてみえた。まるで階段をいくつか飛ばして上がってしまったかのようだ。 「今日はすごい夕焼けだねえ」
「……お前、何しにここに来たわけ?」
完全なる夕焼け。茜の空はまさに燃えているようだ。
「ローザにうまく誤魔化しておいてくれないかなぁ?」 不意打ちをくらって必死で言葉を探す自分を横目に、セシルの口ぶりは白々とまるで他人事だ。なんだか馬鹿馬鹿しくなって頭を振った。
「当たり前だろ。ちゃんと言ってやれよ、あいつも馬鹿じゃないんだから」 日が沈むと、西に面したこの部屋はとたんに薄暗くなる。夕食にあわせて宿舎に帰ってくる士官候補生達の若々しい靴音が廊下を騒がしく軋ませる。そろそろ帰るよと言ってセシルは立ち上がった。
言いたいことも聞きたいことも山ほど思い浮かんだが、どれひとつ口には出来なかった。ただ、海の向こうには若者を喰らう怪物が居て、未熟な自分よりずっと幼いこの友人がその場所へ旅立ってゆく。帰って来るという保証はどこにもない。
「おーい、カイン! 食事だぞ、君が来ないと冷めちゃうじゃないか」 |