記憶



とても暑い日だったことを覚えている。

もうそろそろ秋といっても良いはずなのに、頑固に日差しが照りつける午後で、カインは城へ続く石畳をひとり歩いていた。

こんな暑い日にお呼びだなんて、うちの王子は全くどうにかしてる。大人しく部屋でセシルとでも遊んでいればいいのに。

背筋を汗が流れるのを感じながら、自分よりずっと暑そうな恰好で気の毒な衛兵に挨拶をする。声をかけられたのは丁度そんな時だ。

「カイン君」

「え?」

見上げるとそこに立っていたのは勤務服姿のクライヴで、ぐったりと眠りこけているらしい娘を重そうに抱いていた。

「やあ、君も王子のお相手かい?」

「はい……まぁ」

「大変だねえ、ローザは随分可愛がって頂いているようで、楽しいらしいけど」

「……寝てますね」

「彼女が寝てしまったから迎えに来いと王子に呼ばれてね。全く、この暑いのによく眠れるもんだよ。うちのお嬢さんは」

汗で額にはりついたローザの巻き毛をそっと撫でて、笑うクライヴはどことなく楽しげだ。

「てこでも起きませんよね」

「あはは、その通り……しかし、この子、重くなったなぁ……」

それはもう遠い過去。
彼女と彼女の家族の幸せが、ぴたりと閉じられた円のようだった、最後の頃の記憶だ。

あの午後の後、次にクライヴに会ったのは、彼の葬儀の日である。
今となっては、ローザが眠っていたことが少し残念に思えてしまう。クライヴはいつも娘を甘やかしていたが、今でもあの日の彼のまなざしの優しさを思い出すと、自分なんてとても敵わないと思ってしまう。

幼かったローザの記憶は、自分よりずっと曖昧に霞んでいるだろう。
実際、ローザはもう父の声を思い出せないと言う。

悲しみを忘れられる幸福より、幸福を忘れてしまう不幸の方がずっと大きいのではないだろうか。だとしたら、母を知らない自分は幸か? 不幸か?

ふと母に思い至り、微かな自己嫌悪と共に強引に意識を引き戻す。
母のことは考えないようにしているのに……ああ、そうだった。冬用の荷物を取りに家に帰ってきたのだった。

埃っぽいベッドから立ち上がる。
たった一年で着られなくなっている服が随分あって、なんだか自分でもおかしくなってしまう。あれもこれも新しく買わなければと思いつつ、トランクを担いで家を出た。






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