何度目かの季節を見送り、生まれたてのぎこちない春に肌寒いある午後、少年は少女に出会った。閲兵式の日のことだ。近衛兵の父に手を引かれ、彼女はやって来た。

城では確かに子供は殆ど見かけなかったが、それでもあのわがままな王子や、つんけんした優越感の固まりのような貴族の子女なら知っている。着飾った人形みたいに綺麗な人も別に珍しくはない。でも彼女は全然違った。陛下が列席する会食でこともあろうに退屈そうにあくびするなんて!

信じられない。なんという無神経というか無頓着というか、ほら、やっぱり両親は慌ててるぞ。

ぽかんと見つめていると、陛下が笑って声をかけられた。

「どうしたのかね、奥方」

「申し訳ございません陛下。子供が静かにしませんもので」

「そうか、それは気が付かなかったな。この場は子供には退屈であろう。ローザ、退屈だろう?」

「え、えーと、はい!」

ああ面白い。はい、なんて言うものだから、女の子の両親はもう顔色を失っている。セシルが少し意地の悪い微笑みをかみ殺すと、王も可笑しそうに笑って言った。

「そうか、それなら城を散歩してくると良い。……セシル」

「はい?」

「案内してやりなさい」

「……はい。陛下」

どうして僕がこんな破天荒な子の世話をしなくちゃならないんだと思いながら、セシルは仕方なしに席を立った。女の子は椅子から飛び降りて、嬉しそうにドアの方へ走っていく。周りの大人がくすくす笑っているのが見えないのか、この子は。セシルはなんだか自分が笑われているような気分になって、小さくなって部屋を出た。




(まったく、僕は陛下のとなりがよかったのに)

分厚い絨毯の上を飛び跳ねるように先に行く女の子の後を、セシルは憤慨した様子でついて歩いた。女の子はそんなセシルの様子に気付かないようで、ひとしきり廊下の絵やら彫刻やらを珍しそうに眺めた後、人なつっこく近づいてきた。

「ねえ、あなたはここでくらしてるの?」

「そうだよ」

子供の中でも、女の子は特にうるさいから好きじゃない。人の話を全然聞かないし、つまらないことですぐに泣き出す。

「ふーん、すごいんだ」

「すごくないよ、べつに」

馬鹿じゃないか、すごいのは陛下で、僕じゃない。思ってからセシルは気付いた。この子は、僕が孤児だってこと、知らないのかな。大人も子供も城にやって来る人は皆大抵、陛下の居ないところでは僕に冷たい。

「だってあんなの、わたしのうちにはないわよ」

首を傾げるセシルに気付かずに、女の子はまだ目を丸くして感心している。セシルは、なんだか恥ずかしいような不思議な気持ちになってうつむいた。

「でも……すごくないよ。ちっとも」

「あー、こっち、何かなあ?」

「あ、ちょ、ちょっと待って!」

セシルの言葉が聞こえているのかいないのか、女の子は王の私庭の方へと駆けていく。ああもう、これだからやっぱり女の子は困る。だけどなぜか先ほどまでのようなイライラはなかった。

「怒られるよっ」

「うわぁ……」

廊下を過ぎ、まぶしい光の中に飛び込む。そこは王城の中でも奥まった場所にある小さな中庭。普段は誰も立ち入らない王の庭だった。

「…………」

季節を問わず色とりどりの花が咲き誇る正門奥の中庭と違って、そこは静かな場所だった。春を告げるスズランが一面に可憐な花を咲かせている。冷たい日差しが柔らかに降り注ぎ、どことなく神々しい緑の庭だった。驚いたように立ちつくす女の子の横に、セシルもそっと立つ。

「きれいね」

そう言ってこちらを向いた女の子の琥珀色の目がとても嬉しそうだったから、つられたようにセシルは頷く。

「あ!」

「え?」

「笑った!」

女の子は、何かのゲームに勝ったような顔できらきらと笑う。セシルも笑った。

「だって君、面白いんだもの」

「きみ、じゃない、ローザ」

「ローザ、そっか。僕はセシル」

「セシル君?」

「セシルでいいよ」

「ああ、ここに居たのかいローザ。ごめんよ」

「とうさま!」

背後から唐突に大人の声。振り向いたときにはもうローザがその人に飛びついた後であった。ローザと同じ蜂蜜色の柔らかい髪。さっきの近衛兵……彼女の父親だろう。

「ああこれ、せっかくのドレスが台無しになるローザ。マリアが嘆くよ」

「ねえとうさま、お友達ができたのよ!」

勝手に友達ということにされてしまったけれど、ちっとも嫌な感じはしなかった。むしろ、嬉しいかもしれない。


父と共に手を振りながら去っていく少女が、廊下の角を曲がって見えなくなるまで見送って、セシルはもう一度、彼女の花の名をそっと唱えた。







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