澄んだ秋空を何となく見上げて、セシルは足を止めた。それから、隣をどんどん行き過ぎていく他の子供達からぷいと目をそらす。

やっぱり部屋に戻ろう。

王自らが訪れる秋の孤児院訪問は、ここの子供達には一大イベントである。王と共にやって来る慈善事業好きの貴族達の誰かに目をつけてもらえれば、学資や住居やその他諸々、彼らの人生が負った苦しいハンデを埋めることができるかもしれない。そんな暗黙の期待の中、歓迎の準備は勧められていた。

「セシル君、どうしたの?」

「僕、行かない」

困ったわねという表情で、教師は腰を落としてセシルに目を合わせる。

「今日は陛下がお越しになる大切な日だと言ったでしょう? セシル君もお歌の練習はちゃんとしていたじゃない。そんなことでは陛下もがっかりなさいますよ?」

「……へいかって人、僕、知らないし」

「でも、陛下はセシル君を見ていてくださいますよ」

「……いかないっ!」

教師の手をふりほどいて、セシルは元居た宿舎に駆けていく。玄関の方で華やいだ歓声があがるのを聞いた教師は、小さくため息をついてそれ以上セシルを追わなかった。




「陛下!」

「へいか!」

「良い子にしておったか? 皆去年より随分大きくなったな」

歌や劇、皆が一年かけて作った野菜や果物。ささやかで精一杯のもてなしを、王は優しい顔で受け止めてくれる。たくましい損得計算を抜きにしたとしても、子供達はみな王が大好きだった。

「いつも本当にありがとうございます、陛下」

「皆まっすぐに育っておる、そなた達の力だ」

質素だが美しく飾られた礼拝堂を見回して、王は深く頷く。

「ここにあの船の生き残りが居ると聞いたが? どの子のことかな?」

「あの……陛下、セシル君は……」




煉瓦の壁に切り取られた青空が、彼の身体をふわりと捕まえて、どこか遠くへ連れて行ってくれるような午後だった。今は当然、静寂の中にある宿舎。セシルはひとりベッドに寝転がって、白い真昼の月を指でなぞっていた。鏡が割れてしまったから、彼にはもう友達はひとりもいない。

と、唐突に小さなノックの音、どうせ先生が僕を呼びに来たんだろうと、気にもとめず月に手を伸ばす。

「そなたの友は空かね、セシル」

知らない男の声。のろのろと起きあがりドアの方を向くと、豪奢な緋のマントを纏った背の高い男が立っていた。つややかかで真っ直ぐな黒髪に白いものが混じり始めていて、若くはない。

「なるほど、シスター達が手を焼くわけだ。利口そうだな」

「……誰ですか?」

言ってから、こういう口の利き方は大人に嫌われるなとセシルは思ったが、男は笑った。

「慌てて年をとったような顔をするのはもったいないと思うが?」

不思議な大人だとセシルは思った。男は長いマントを器用に翻して、断りもなく彼の隣に腰を下ろす。間近に覗き込まれると、男の深い緑色の目はなんだか魅力的だった。

「シスター達の話では、そなたは魔法を使うらしいな。見せてくれぬか?」

「いやです」

「なぜ?」

「……友達じゃ、ないから」

「そうじゃな、余とそなたは出会ったばかりだからな、まだ友人にはなれないな」

残念そうにため息をついてみせる男の横顔に、つられたように顔をよせる。意地悪をしてしまったような気がして、少し胸が痛かった。そんなセシルの心を見透かすように男は立ち上がった。見上げたマントの背に描かれた金糸の刺繍がこの国の王家の紋章であることを、セシルはまだ知らない。

このまま男の後ろ姿が遠ざかって、この部屋から居なくなってしまうことを悲しく感じる。あの魔法を見せてあげれば、男は振り向いてくれるのかもしれない。

「セシル、余と共に来ないか?」

やっぱり見せてあげてもいいですよと、セシルが言うより一瞬早かった。言葉の意味が理解できず、二の句を継げずに黙り込むとふいにふわりと身体が浮いた。

「嫌か?」

「…………」

目の前にまた、あの瞳。
悪戯っぽく光ったその緑色に、自分がまんまとしてやられたことを思い知る。ああ、でも、もう嫌だとは言えない。

いやじゃない。言えない代わりにセシルは首を振る。王は満足そうに彼の頭を乱暴に撫でて、そのまま彼を連れて部屋を出た。







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