第1章「A Day of spring」

....#32 本家の晩餐


夜、ハイウインド家本宅。


しぶしぶ正装に着替えたカインが食堂に入ってみると、伯父アーサーと三人の娘達はもう席について彼を待っていた。不機嫌な顔のカインが現れたのを合図に、娘達がからかい半分に話しかける。


「似合うじゃない、りりしいわよ。カイン」


「姉貴も相変わらずお美しくてなにより」


「ほんと、見違えたわ」


「そりゃどうも」


「今度あなたも城のパーティにいらっしゃいよ」


「勘弁してくれ」


代わる代わる好きなことを言ってころころと笑うハイウインドの娘達の横を過ぎると、奥にアーサーが居る。カインの席は伯父の斜め向かいに用意されてあった。


「カイン、待っていたぞ」


「そう怒るな、せっかくの食事が台無しだ」


「別に、怒ってる訳じゃないよ」


そう言って席に着く。
養子縁組の話は断り続けているカインであったが、別にアーサーのことを嫌っているわけではなかったむしろ本当はとても感謝している。


「そうか、ならいいんだ……お前が来てくれて娘達も喜んでいる。楽しんでくれ」


「ああ……」


カインが薄く笑って返事をするとほぼ同時に、暖かい食事が執事達の手によって運ばれてきた。


「お父様、皆が揃うのは久しぶりですわね」


そう言いながら、さっそく目の前のスープに手をつけたのは、旅行にばかり飛び回っている末娘のノルデである。


「お姉様、カインは素直にしているの?」


姉妹の中でただ一人母親ゆずりの栗色の髪をした次女のオデットが、一息に飲み干して空になった食前酒のグラスをテーブルに置く。


「それが聞いて頂戴、カインったら、私を見るとあからさまに嫌な顔をするのよ、ひどいでしょう?」


シャーリーンは、そう言ってからかい半分の流し目でカインを見た。
カインが顔をしかめて目をそらすと、姉妹は一斉に可笑しそうに笑う。


「お姉様はカインに構いすぎるのよ」


「ノルデは相変わらずカインが可愛くないのね」


「別にそんなわけじゃないわ、お姉様達みたいなのはカインも可哀相だってこと」


「あら、カインそうなの?」


「……ああもう、俺に話を振るなよ。女同士で勝手にやってくれ」


「ほら、カインってばやっぱり可愛いでしょう?」


「そうそう」


「…………」


「まぁカイン可哀相。あなたも少しバロンを離れて旅をすればいいのよ」


「ほほ、この子はね、こういう跳ねっ返りなところがいいのよ」


一番年の近いノルデでもカインより六歳も年上である。
長年バロンの社交界でくだらない貴族同士の会話に興じている姉たちには、とてもじゃないが口では敵わない。一人ぐらいならなんとかなるのだが、三人寄られると、カインにはむっとした顔のまま黙り込むしかすべはなかった。


「お前達、カインが困っている。いい加減にしてあげなさい」


見かねたアーサーが娘達のお喋りを制して、すまなさそうな顔をカインに向ける。


「そういえばノル、あなたは最近どこにいたの?」


「冬の間は青海の珊瑚礁を見て回っていたわ」


「まぁ、素敵。良い絵が描けそうね」


「とにかく海の色がすばらしいわ、お姉様達も行ってみればいいのよ」


「二人とも、たまにはお父様の傍に居て差し上げないと」


「わかってますわよお姉様、だからこうして帰ってきたんですもの」


食事は、変わらない姉妹のリズムの早い会話の中で進んだ。
カインもアーサーも慣れているので、知らないふりで淡々と食事を平らげる。


カインにすれば、幼い頃からひとりで本家に招かれてよく口にした、この家の専属シェフが作る懐かしいバール料理の味である。
慎ましやかだった亡き妻に似ていない、華やかな娘達に囲まれたアーサーも、久しぶりの晩餐を楽しんでいるようにみえた。


はっきり顔には出さないが嬉しそうな伯父の横顔を、料理を口に運びながらカインはちらりと見た。


「俺、カデットの寮に入るから」


父が死んで間もなく、本家へはいかずに士官学校へ進むと告げたときの伯父の悲しそうな顔は今でもよく覚えている。息子がないとはいえ、自分のような者に本家の当主たる伯父がよくここまで良くしてくれるものだと、幼いながら思った。


カインの父、グレアム・ハイウインドは竜騎士としてハイウインド家を背負っていくはずの人間だったと聞かされている。だが、父は生涯結婚せず、家を出て、本家へは死ぬまで戻らなかった。


そう、父に妻はいない。
カインは、母のことは何も知らなかった。
死んだのか、それとも生きているのか、父は何も語らない。
母親を恋しがっていると思われるのが嫌で、父にしつこくそのことを問うたこともなかった。


「心配しないで……アーサー伯父さん、ひとりでも大丈夫だよ」


「カイン……お前はまだ子供だ。無理をしなくても……」


「本家の人たちには、迷惑をかけるなって、親父言ってた」


「…………グレアムは……」


伯父と父の仲がどのようなものであったのかもカインは殆ど知らない。
二人とも、お互いのことを多くは語らなかった。
ただ、葬儀の末席にひっそり現れたアーサーは、参列者が殆ど居なくなってから父が眠る棺にそっと近づき、静かに跪いて祈りを捧げた。


もうすぐ十二になろうとしていたカインには、もう死の意味は十分わかっていた。だが、不思議と涙は無かった。
父は静かに暮らしていたが、ずっと何かを待ち続けていたような気がする。子供の頃はどうしてそんな風に思うのか自分でもわからなかったが、足りないものを抱えた寂しさのようなものが、父の後ろ姿にはこびりついていたように感じられてならなかった。


何かが欠けたまま続いていた父の長くない生涯が、閉じることでどこか満たされたかのように思えたのかもしれない。


とにかく、悲しいとは思わなかった。


「明日は雨になりそうだな」


ぼやけた三日月を仰ぎ、水割りを手にしたアーサーは呟いた。
食事を終えた娘達はそれぞれの部屋に戻って、ここには居ない。
広いテーブルに並べられてあった食器はすべて下げられ、煌びやかに明かりが灯されていたシャンデリアの代わりに、燭台の蝋燭が部屋を暖かく照らしていた。


「雨……? 今日はあんなに晴れていたのに?」


窮屈なネクタイを緩め、伯父の後ろ姿を眺めてカインは言った。
その声にアーサーはゆっくりと振り向く。


「春だからな、天気はすぐに変わる」


「今日じゃなくてよかった。あいつら、遊びに出かけたからさ」


「クライヴ殿のお嬢さん方か?」


「ああ」


「二人とも大きくなったのだろうな」


「まぁ、そうだな」


「……その声、グレアムにそっくりだ」


「親父に?」


「ああ、声も顔も髪も父親そっくりだ。こんな夜にお前と話していると、弟が帰ってきたような気持ちになる」


「…………」


「……ああ、すまない」


「いや、久しぶりだな。伯父貴が親父の話するの」


「そうだった、かな……」


「そうだよ、避けてるだろ、親父の話……」


「過ぎたことだ。……何もかも、お前が生まれる前の話だよ」


「伯父貴……」


「昔の話だ」


 アーサーは少し悲しそうな顔で、再び夜空を振り仰いだ。


「親父……か」


父のことをいくら思い出そうとしても物思いにふけっている姿ばかりが思い浮ぶ。
鍛えられた広い背中に似合わない、小さな椅子と分厚い小説。グレアムはそういう男だった。


幼い頃、竜騎士になることは、父がそうであるというだけの理由でごく当たり前の夢としてカインの中にあった。
いつも父が大切そうに磨いている飛竜の槍の銀色の柄を眺めていると、あれを持って戦いに出てみたいと胸が躍ったし、いつもはあまり読まない子供向けの本でも、竜騎士が出てくると気になって手にとってしまう。


そしてそんな竜騎士である父のことは、単純な憧れをもって見ていたのだと思う。少なくとも本当に幼い頃は。


バロンに飛竜は既になく、竜騎士が活躍できる時代は終わりを告げた後であった。
その称号がもはやただの古びた名誉でしかないことに気付いたのは、父が亡くなってからずっと後のことである。


「……なぁ、伯父貴」


「なんだ」


「親父のこと……さ、許してなかった?」


「どうしてそんなことを?」


「いや……別に、いいんだけどさ」


「……いや、グレアムは……」


広くとられた窓から、高く霞んだ三日月が見える。
アーサーが言ったとおり、雨を待つ夜空だった。


「最高の弟だったよ」


少しも父に似ていると思ったことのないアーサーの背中が、なぜだか父と重なって見えた。



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