序章「In the ocaen」




 その船が遭難したのは今から十八年前にさかのぼる。
 バロン国籍のその貨物船は、あちこちの港を回り、たくさんの人と荷をのせて母港へ帰るところだった。

 事故によって多くの人の命が失われたが、その多くは身元も判らなかったという。
 当時貨物船に乗るのは、職を求めて外国に渡ろうとする貧しい難民たちばかりであったからである。

 奇跡的に助かった中に、幼いその子がいた。
 三歳のその子は名をセシルといったが、事故のショックかそれ以外の記憶は無かった。
 身寄りのない彼は孤児院に引き取られた。しかし、縁あって彼はバロン王のもとで育てられることになる。

 世界中でさまざまな技術が開発され、競ってその実用化が図られていた。
 人々が皆、便利さを求めて走りつづけていた時代の中、その平和で豊かなひとの歴史が、終わりを告げようとしているときのことであった。







 今、青い空に影がよぎる。
 渡り鳥の群のようなその影はしかしあまりにも大きい。
 一見すると船のようにも見える流線型のフォルムは白い塗装を施した金属で覆われており、
艇体の割には小さなプロペラが何カ所か見える。

 それは、飛空艇と呼ばれる乗り物だった。

 太陽の光を受け、輝かんばかりに白い飛空艇が三機、洋上を低くゆっくりと飛んでいる。
 艇体には鮮やかな赤いラインと、翼のエンブレム。


 空を征することにより世界を制したバロン空軍が「赤い翼」と呼ばれるのは、この印に由来がある。


 今では、すなわち最強を意味するエンブレムであった。


 その乾いた風の吹き抜ける低空飛行時専用の外部デッキに、赤い軍服を着た人影が見える。
 すらりとして背が高い、若い軍人だった。
 風になびく赤茶色の髪を煩わしそうに払い、彼は遙か前方に霞むバロンを見ている。


 あたりは驚くほど静かだった。
 風の音、それに、耳をすませば遠くで鳴いているカモメの声すら聞こえてくる。


 見はるかす世界は美しかった。


「隊長、こんなところにいらっしゃったのですか」


 背後から唐突に話しかけてきたのは、どうやら彼の部下であるらしい。
 年齢は彼よりもむしろ上に見えるが、彼に対する恭しい態度を見ると、やはり部下であるのだろう。


「セシル隊長、まもなく加速いたします。中へ入られますよう」


「ああ……」


「正午までにはバロンに到着いたします」


 セシルと呼ばれた若い軍人は、薄く笑って頷いた。
 それから、少しだけ名残惜しそうにデッキの下に広がる海に目を落とす。


 空よりもさらに青い海は、一枚の布を広げたように静かにうねり、彼方の海岸線へと波を運んでいる。
 強い風に目を細めるセシルの襟元には、彼が空軍の最高司令官であることを示す、翼の襟章が光っていた。