第1章「A Day of spring」
....#33 ミストの秘密
(まったく……どうして君はそんなに無茶をするんだい) 炎が照らし出す町並みを見やり、セシルは溜息をついた。 ローザは子供の頃から少しも変わっていない。思うより先に身体が動いて走って行ってしまうような危うい少女。いつもいつも自分は心配させられてばかりなのだ。 ふわふわの、光の塊のような金茶の髪、見るもの全てにきらめくような興味を持って走るローザ。 こうして要らぬ苦労をさせられていることもなぜか嫌だと思えない自分も含めて、本当に相変わらずの幼なじみである。 (変わらないっていっても……良し悪しなんだけどねぇ……) 木製の素朴な街の門は砲撃を受けて無惨に倒れていた。 ミストの街は、彼が思ったよりずっと酷い状態になっている。 人影は無い。住民はみなどこかに隠れているのだろう。 飛空艇は街の中心上空におり、辺り構わず砲撃を加えているようだ。 どうやら威嚇のつもりのようだが、その割には街自体に被害が大きすぎる。 「……なんでこういうことをするかなぁ」 思わずそうこぼしながら瓦礫を踏んで歩くセシルのすぐ近くにも砲弾が落ちる。 こんなものの直撃を受けたらひとたまりもない。 何の任務でこんな無計画な攻撃をしているのだろう。セシルは髪についた細かい灰のような埃を払いながら、不機嫌そうに目を細めて煙の向こうを見つめた。 そもそもミストは王の庇護下にある自治区で、バロン軍といえど不可侵の場所であるはずであった。 (自治がらみのいざこざか……?) 長い自治の歴史をもつこの町が、幾度と無く中央権力からの圧力を受けてきたことは知っている。しかし、現在の王家はミストの自治を認め、共存をはかる政策をとっている。ここ何十年かは自治権をめぐる争いは起こっていないはずだ。 (ここの人は、自分たちからは問題を起こすことはないはずだ……) だが、改めてふと思う。 そもそもこんな小さな街が巨大な国の圧力を退け続けてこられたのはなぜなのだろう。 セシルは首を傾げた。数百年におよぶミストの歴史の中で、自治が奪われたという話は無い。結局最後には王家が折れている。 ダムシアンとの国境に近いこの街は要所のはずである。 王達が支配下に入れたがるのは当然だ。しかし、長い間それは叶わなかった。それは、なぜか。 セシルがその疑問について考えようとしたその時、突然近く広場で異変が起きた。 砲撃による熱く火薬臭い空気を染め変えるようにざっと冷たい空気が駆け抜ける。 不思議な気配。はっとして振り仰ぐと広場には巨大な何かが出現していた。 その大きさに一瞬目の焦点が合わず、思わず後ずさる。 大きな飛空艇にひけをとらないほどの影、それは緑がかった灰色の固まりのように見えた。そして、呼吸するように静かに動いている。 (生き物……?) 落ち着いて眺めると、その影の輪郭がはっきりと見えてくる。 やがて、呆然と見上げるセシルの頬を強い冷たい風が通りすぎ、影を隠していた緑色の霧を払った。 (いや、あれは……) そこにいたのは竜だった。セシルがいる位置からもはっきり見える。 (ではこれが……ミストの秘密だというのか?) このような真似のできる存在を、彼は本の中でしか知らない。 灰緑の長い体を持ち、宝石のように赤い目をした竜は美しく、セシルは素直に感嘆をもってそれを見上げずにはいられなかった。 (召喚士が……こんなところに) 神々と同じ場所に住むという幻獣をこの世に召喚し、彼らの力を借りることが出来るといわれている、召喚士と呼ばれる存在。 実在するという話は聞いたことがあったが、セシルも実際に目にしたのは初めてである。広場に立って竜を制しているのはまだ若い女のようだった。 (そうか、これが目的だったんだ) 今回の突然の侵攻は、おそらく召喚士の存在を知ってのことであろう。 こんな辺境の小さな街を本国が恐れるはずはない。 どれほどの力を秘めているか解らない、ミストを護っている召喚士を恐れてのことなのだ。 (意に従わないのなら……そういうことなのですか? 陛下……) 竜が長い体を波打たせる度、切れるような強い風が巻き起こり、怒り狂う竜は激しいブレスを飛空艇に浴びせる。しかし、目の前のこの竜は、どうやら戦闘向きの幻獣では無いように見える。確かに大きな力を持っているが、攻撃的な力ではない。 おそらく、純粋にこの地の守護神か何かなのであろう。 (レッドバロンに……あの竜では……) 厚い装甲を纏った彼の飛空艇には、この竜が吐く霧の息では敵わないように思われた。 最初のうちは乗組員がその姿にひるんのか、竜に対して有効に攻撃できなかった飛空艇も、霧が実体化した細長い体に砲撃が有効なことと、その鱗が案外堅くないことを悟ると、集中砲火を浴びせかけた。 竜は苦しげに咆哮するが、攻撃を止めようとはしない。 セシルが見ている所にも、火の粉と共に傷ついた竜の鱗が落ちてくる。 鈍い光沢を放つ緑色の美しい鱗は、石畳に落ちると金属のように澄んだ音を立てる。 間近に見るとかすかに透明で、虹色の光沢を放っている。そっと触れてみるとむしろ陶器のような感触がしたが、次の瞬間には霧散してしまった。 不思議な生き物である。いや、生き物であるといえるのだろうか。 確か、召喚士の命でもって、幻獣は具現化するのだ。今戦っているのは、この竜であると同時にあの女の命そのものであると考えられる。 (……馬鹿なことを) そんな風に思いをめぐらせているうちに、目の前の竜は度重なる攻撃により、徐々に弱り、元の霧へと戻りつつあった。無言のまま傍観していたセシルも霧の竜の決定的な敗北を悟る。 優美な曲線を描く身体が苦しげに波打ち、七色に光る鱗が煙のように消えてゆく様はとても悲しく、また美しい。 |