第1章「A Day of spring」

....#12 二人の時間


セシルが入れた紅茶は香り高く、甘い日差しが差し込む部屋は静かで、ローザは微かに眠いような心地でぼんやりとカップの縁を眺めていた。


「ここじゃ退屈でしょ。いい天気だから、街にでも行こうか?」


ローザのそんな様子を、退屈そうだと感じたのか、セシルが立ち上がりながら言う。彼の言葉はごく当たり前のことのように耳を打ったが、ローザは驚いた様子で目を丸くする。


「え、いいの?」


「どうして?」


意外な反応に、セシルは不思議そうな顔をする。


「だって……目立つでしょ、そういうの嫌いでしょ?」


セシルは空軍の最高司令官、階級でいえば将軍の地位にある。
士官学校の制服を着た自分が彼と街を歩くようなことは、セシルに迷惑をかけるような気がした。

口をついて出た言葉が妙によそよそしいものに感じられて、ローザは内心どきりとした。が、セシルは彼女の意図するところを理解したらしい。


「嫌じゃないよ」


と、少し子供っぽい顔で笑った。


「大丈夫なんじゃない。もう誰も騒ぎはしないって」


バロンの街は城を中心として二重の構造になっている。
古くからの城下町であり、中世の町並みをそのまま残す『旧市街』と、その外側に広がる新しい街『新市街』。

旧市街は五角形を象る街全体が城壁で囲まれ、人と馬車が行き来する石畳の街道沿いには有名な貴族の屋敷ばかりが並んでいた。


「どこ行く?」


「そうだね、ベディス広場の方に行こうよ」


「うん」


赤い、豪華な軍服姿のままフラリと部屋を出てきたセシルを、道行く人は皆驚いた表情で振り返ってゆく。ゆっくりと傾きつつある太陽の光を受けてさらさらとなびくセシルの細い髪を、目線より高い肩を、ローザは何となく複雑な思いで見上げる。


「あーあ、なんだか不思議だなぁ」


「何が?」


「だって、セシルはセシルでしょ?」


「そうだけど……」


「…………でも、セシルはセシルなのよねぇ……」


「?」


少しだけ優越感、少しだけ寂寥感。
今、セシルは自分のことをどう思っているんだろう。
今も変わらず親しく感じてくれているのだろうか。


そんな、息苦しいような切なさを追い払うように、ローザはセシルに足並みを合わせずに坂道を駆け下りた。褪せた石畳の街道を下れば、海へと続く道の途中にその広場はある。


ベディス広場は、バロンがこんな大きな国になる前に街の中心部であった古い広場である。


「ローザ、そんなに急いだらはぐれるよ」


後を追って歩いてきたセシルの声が聞こえたので、振り向いて笑顔で手を振る。

努めて普通に……セシルのことを変に意識するのは良くないことだと思った。


そうでないと、自分から彼を遠ざけてしまうことになる。
普段通り。そう、自分たちは十年前と同じはずなのだ。


「やっと追いついた」


セシルはそう言ってローザの隣に腰掛ける。
間近にセシルの軍服の赤が迫り、襟章の翼のエンブレムが目に入る。


「あー、やっぱり空軍の赤が一番良いな」


セシルはどこか腑に落ちないような表情でそれを見ている。構わずにローザは続けた。


「……私ね、もう来年には卒業できそうなんだ」


「へぇ……」


彼女の言いたいことに気付いたのか、曖昧な返事を返したセシルはほんの少し表情を曇らせたように思える。


敏感にその表情の変化を見逃さなかったローザの心は、呆気なく不安で一杯になってしまう。そして、セシルが次に口にした言葉は彼女をさらに落胆させるものだった。


「ローザの専攻は白魔法だから、陸軍の白魔導研究所勤務になるのかな?」


…やはり自分が空軍を目指すことは迷惑なんだろうか。
単なる雑談だと分かっているのに、けれど何よりも嫌われるのは嫌だった。


「あーあ、教官と同じこと言う!」


不満そうにそう言うと、セシルは少し困った顔で微笑む。


「だってそれがまぁ、順当だし……」


こんな話を持ちかけた自分が馬鹿だと、言葉に迷うセシルの顔を見てローザは思った。
久しぶりに会って、彼を困らせてどうするのだ。


「……私ねぇ、特技があるから空軍がいいと思うんだ」


わざと大げさに話を冗談にずらす。


「特技って?」


「弓! すごいんだよ、弓の授業だけはいつも一番なんだから」


「ふふ、それはすごい。飛空艇の背中に立って鳥でも撃つ?」


セシルは可笑しそうに笑って話を合わせた。


「そうだねえ、それもいいかも」


「矢を放つ前に吹き飛ばされちゃうよ」


「うーん、やっぱりそうか。でも、たぶん撃つの得意だよ」


「そういうのは軍隊に入らずにやった方が楽しいと思うよ」


「…………」



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