第1章ミスト編

....#8 炎の街



薄暗い街は、すでにリディアの生まれ育った美しいミストではなく、見知らぬ恐ろしい廃墟と化していた。

どの建物も見知った親しいものであったはず、だがその面影は無く、石と土の塊へと姿を変えている。
かろうじて倒壊を免れている部分は炎を上げていた。

「…………」

恐怖に駆り立てられて、リディアはひたすら走った。
瓦礫を踏んで、炎を避けて。
母はどこに居るのだろう。

「お母さん!」

力の限り叫んでみても、地獄の雷のような砲撃の爆音が邪魔をする。
そして次の瞬間には、空気を伝わってきた衝撃に、小さな体は簡単に吹き飛ばされてしまう。
瓦礫に体を打ち付けられて、鋭い痛みが全身に走った。

「……あ……」

痛みに頭が混乱して、長老の家を出て自分がどこをどうして走ってきたのかもわからなくなってしまう。
ここは街のどの辺りなのだろう。

母は見つからない。
戻る道も解らない。

振り返ると、今走ってきたはずの場所には火のついた柱の残骸が横たわっている。
どうしようと思いながらふと刺すような痛みを感じて手のひらを見ると、 小さなリディアの手は血まみれになっていた。

「……ひっ……おかあさ……」

おそらくさっき転んだときにガラスの破片で切ったのだろう。
真新しい鮮血が手のひらを濡らしていた。

痛い。怖い。

怖い!


炎だけが赤々と燃えさかり、何かの生き物のようにリディアに迫る。
逃げなければ命が危ないということは、本当は理解しているはずだった。
だがもう体が、足がいうことをきかない。

ただ迷子の子供のように泣きじゃくり、母に来てくれと叫ぶしかなかった。

いつも本当に困ったときは、そうすれば母は来てくれたのだ。
もちろん今は来てくれるはずは無いと、それも解っているはずだったのだが。


「どうしたの?お父さんと、お母さんは?」


声が降りてきたのはそんな時のことだった。一瞬期待したが母ではなかった。

見知らぬ娘がそこにいた。

金色の髪をおさげ頭にして、桃色のニットを着ている。
あちこち傷だらけでどろどろになっている自分に比べて、その人はまるで今ここに来たばかりのように身ぎれいだ。そのせいで一瞬彼女が夢のように思えた。琥珀のような大きな目で、心配そうに自分をのぞき込んでいる。

優しそうな人に見えた。
何か言おうとしたがうまく唇が動かず、涙の溢れる目でその人を見つめることしかできなかった。


この街の人間ではないらしい彼女が身を隠していたのは、壊れた建物の石の土台の下で、 なるほど頑丈そうな土台はこれ以上崩れることは無いように思える。
そこに、不思議な光る結界を築いていた。

確か、母も同じようなものを作ることが出来たように思う。
ぼんやり光るその光のドームは暖かな黄緑色で、中に入ると自然と落ち着くことが出来た。


「あら……怪我をしてるのね、可哀想に。ちょっと見せて?」


娘にいわれるまま手を差し出すと、どうやら傷の中にガラスの破片が刺さっていたらしい。後でちゃんと診てもらおうと言いながら、娘は傷を洗ってくれた。


「はい、とりあえずだけど。これで血は止まるかな」


ハンカチを包帯代わりにきつく蒔いて、娘は優しい顔で微笑んだ。


「あなた、名前は? 私はね、ローザ」


「……リディア……」


いつの間にか涙は乾いていた。



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